「量子コンピュータがついに量子優位性(quantum advantage)を実証した」——2026年7月30日、IBMとシカゴ大学などの研究チームがそんな発表をして話題になりました。量子超越性との違いがわかりにくいこの言葉、そして今回の成果が誤り訂正の文脈でなぜ重要なのかを、発表内容と専門家の反応の両方から整理します。
この記事で分かること
- 2026年7月30日、IBMとシカゴ大学などが3本の論文を通じて「量子優位性の時代に入った」と発表したこと。柱となる成果は、70個の論理量子ビットを使い、古典スパコンでは現実的な時間で解けない計算を約15分で実行し、しかも結果が正しいことを検証できる仕組みまで示したこと
- この成果が「量子超越性」と違うのは、(1)エラー訂正された論理量子ビットを使っている点、(2)結果を独立した方法で検証できる「信頼の枠組み」まで示した点であること
- IBM自身の研究トップも「quantum advantageとは断言していない」と慎重な姿勢を見せるなど、査読前の論文であることも含め、受け止め方には注意が必要なこと
対象読者:誤り訂正の基礎(論理量子ビット・物理量子ビット)や量子超越性の議論を知っているエンジニア・学生の方
執筆:ゆるふわ量子編集部 最終更新日:2026年9月30日
何が発表されたのか
2026年7月30日、IBMはシカゴ大学、理化学研究所(RIKEN)、そしてQedma・Algorithmiq・BlueQuiltといった量子ソフトウェア企業と共同で、3本の論文をまとめて発表しました1。いずれも7月27〜28日にarXivへ投稿されたプレプリントで、IBM研究部門トップのJay Gambetta氏は「私たちはいま、確実に量子優位性の時代にいる」とコメントしています2。
中心となる成果は、IBMとシカゴ大学による論文「Sampling hard circuits with verifiably high fidelity(検証可能な高忠実度でハードな回路をサンプリングする)」です3。ヘビーヘックス構造を持つIBMの量子プロセッサ「Heron R3」上で、70個の論理量子ビットを使い、古典スパコンでは現実的な時間で解けないサンプリング問題を約15分で実行しました。
用語の整理:量子優位性とは
量子優位性(quantum advantage)
量子コンピュータが、古典コンピュータでは現実的な時間で解けない計算を実行し、かつその結果が正しいと確認できる状態を指す言葉。量子超越性(quantum supremacy)とほぼ同じ文脈で使われることもあるが、2026年のIBMの発表では「結果を検証できるかどうか」を強く意識した、一歩踏み込んだ意味合いで使われている。
具体的な数字で見る成果
70個
使用した論理量子ビットの数(世界最大級の誤り訂正実証の1つ)
約15分
計算の実行時間(古典スパコンでは現実的な時間で不可能)
約10倍
物理エラー率と比べた、実効的な論理エラー率の低さ
論文によれば、この実験では2,415回の論理2量子ビット演算と468回の論理Tゲートを実行しました3。どちらも回路の複雑さを示す指標で、これだけの規模の演算を論理量子ビットレベルで積み重ねられたこと自体が、表面符号や量子LDPC符号といった誤り訂正技術の進歩を裏づける成果です。
なぜ「検証可能」が重要なのか
量子優位性の主張につきまとってきた根本的な問題は、「量子コンピュータにしか解けないほど難しい計算」であるがゆえに、古典コンピュータでは結果が正しいかどうかを直接チェックできないという点でした。量子超越性の記事で触れた通り、Googleの2019年の主張に対してIBMが「古典アルゴリズムを工夫すれば数日で解ける」と反論したように、この種の主張は「古典側の改良で覆される」リスクを常に抱えています。
今回の研究チームは、この問題に正面から取り組みました。IBM×シカゴ大学の論文は、計算の複雑さに関する理論的な裏付け(計算複雑性理論に基づくハードネス証明)と、デバイス固有の忠実度証明を組み合わせることで、「速いだけでなく正しい」ことを示す設計になっています5。さらに、Qedma・RIKEN・BlueQuiltによる別の論文では、超伝導方式とは異なる量子コンピュータ企業Quantinuumの実機による独立検証も行われました6。異なる会社・異なる量子ビット技術で同じ結果が再現されたことは、「特定企業のハードウェアのクセによる見かけ上の結果」という疑いを弱める材料になります。
3本の論文、重みは同じではない
IBM×シカゴ大学
- 70論理量子ビットのサンプリング問題
- 計算複雑性理論に基づく明確な優位性の主張
- デバイス依存の忠実度証明つき
- 「量子優位性」を主張する根拠が最も強い
Qedma/Algorithmiq×RIKEN
- 磁性体モデルや分子シミュレーションが題材
- 最大74〜77量子ビット、富岳との比較
- 既存の古典手法が破綻する領域を実証
- 主張はより実証的・経験的(厳密な証明ではない)
業界メディアの分析でも、3本の論文は同じ重みを持つわけではないと指摘されています。IBM×シカゴ大学の論文が計算複雑性理論に基づく明示的な優位性の主張を行っているのに対し、Qedma・Algorithmiqの論文は「試した古典手法では一貫した答えが出せなくなる領域」を示す、より経験的な主張にとどまるという整理です7。
業界の反応:慎重な見方も
IBM自身が「言い切っていない」
興味深いことに、IBM研究部門トップのGambetta氏自身も、メディアの取材に対しては「quantum advantageだと断言しているわけではない」と述べ、むしろ「信頼できる計算(trusted computation)」という表現を好むとコメントしています8。同氏は量子優位性の到達を、ある日突然訪れる一線越えではなく「科学的な議論(scientific debate)」だと位置づけています。加えて、3本の論文はいずれも2026年9月時点でまだ査読前のプレプリントであり、Googleの2019年の主張がそうだったように、今後数か月〜数年にわたる外部からの検証・反論にさらされる段階にあります。
量子コンピュータ業界は長年、ベンチマークの取り方や主張の基準がプレイヤーごとにバラバラで、比較や検証が難しいという批判も受けてきました。今回の発表は「検証可能性」を前面に出すことでこの弱点に対応しようとした試みですが、それ自体が本当に業界標準になるかどうかは、これから他の研究機関やGoogleなどの競合がどう反応するかにかかっています。
まとめ
- 2026年7月30日、IBM・シカゴ大学・RIKENなどが3本の論文で「量子優位性の時代に入った」と発表
- 中心成果は70個の論理量子ビットを使い、約15分で古典スパコンでは解けない計算を実行し、結果を検証する仕組みまで示したこと
- 量子超越性との違いは、誤り訂正された論理量子ビットを使っている点と、独立した方法で結果を検証できる点
- IBM自身のトップも「断言はしていない」と慎重な姿勢を見せており、論文も査読前の段階。今後数年の外部検証が焦点
もう少し詳しく(背景)
量子優位性(あるいは量子超越性)の主張が繰り返し論争になってきた最大の理由は、「その計算が本当に古典コンピュータには不可能だったのか」を確かめる手段が乏しかったことにあります。計算自体が古典的に検証不可能なほど難しいからこそ量子優位性の証拠になるわけですが、裏を返せば、結果が本当に正しいのかを第三者が独立に確かめる方法もまた限られてしまう、というジレンマです。
今回のIBM×シカゴ大学の成果が注目されたのは、単に論理量子ビットの数を増やしたからではなく、この検証可能性のジレンマに具体的な回答を用意した点にあります。計算複雑性理論に基づくハードネスの主張と、実機固有の忠実度を保証する仕組みを組み合わせ、さらに異なる量子ハードウェア企業(Quantinuum)での独立検証まで行ったことで、「1社の実験結果を1社だけが評価している」という構造から一歩抜け出そうとしました56。
とはいえ、これで論争に完全な決着がついたわけではありません。査読を経ていないプレプリントである点、そしてIBM自身の研究トップが慎重な言い回しを選んでいる点は、この成果を読むうえで意識しておきたいポイントです。誤り訂正や量子LDPC符号、表面符号といった基盤技術が着実に積み上がってきたからこそ実現した70論理量子ビットという規模は確かな進歩ですが、「量子優位性の時代に入った」という宣言そのものは、Gambetta氏の言葉を借りれば、今後も続く「科学的な議論」の1章として見るのが実態に近いでしょう。
次に読むなら
量子超越性との違いは量子超越性とは?、この成果を支える誤り訂正の基礎は量子の誤り訂正入門、いま主流の符号の実装は表面符号をQiskitで実装、より少ない量子ビット数で誤り訂正を狙う技術は量子LDPC符号(qLDPC)とは?、実用化の時期感は量子コンピュータの実用化はいつ?へどうぞ。
参考資料・出典
- IBM and the University of Chicago Demonstrate Quantum Advantage, Establishing Trusted Quantum Computation on Logical Circuits | IBM NewsroomIBM公式プレスリリース。70論理量子ビット、約15分の計算、Jay Gambetta氏のコメントなど(2026年7月30日)
- Sampling hard circuits with verifiably high fidelity | arXivIBM×シカゴ大学による原論文。Heron R3プロセッサでの70論理量子ビット実験、2,415回の論理2量子ビット演算・468回の論理Tゲートの詳細(2026年7月)
- IBM and University of Chicago Demonstrate Verified Logical Quantum Computation Beyond Classical Simulation | The Quantum Insider成果の技術的な解説記事(2026年7月31日)
- IBM and Ecosystem Partners Demonstrate Trusted Quantum Advantage Beyond Classical Supercomputers | Quantum Computing ReportQedma・RIKEN・BlueQuiltの論文やQuantinuumによる独立検証についての報道
- IBM Three Quantum Advantage Papers | PostQuantum.com3本の論文の主張の強さ・評価の違いを整理した分析記事
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執筆:ゆるふわ量子編集部 最終更新日:2026年9月30日
Footnotes
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IBM Newsroom, "IBM and the University of Chicago Demonstrate Quantum Advantage, Establishing Trusted Quantum Computation on Logical Circuits"(2026年7月30日)。IBM・シカゴ大学・RIKEN・Qedma・Algorithmiq・BlueQuiltが関わる3本の論文をまとめて発表。 ↩
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IBM研究部門トップのJay Gambetta氏は発表に際し「We are now firmly in the quantum advantage era(私たちはいま、確実に量子優位性の時代にいる)」とコメントした。 ↩
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Aharonov, D. et al. "Sampling hard circuits with verifiably high fidelity"(arXiv:2607.25941、2026年7月)。IBMの「Heron R3」プロセッサ(ヘビーヘックス構造)上で70個の論理量子ビットを用い、2,415回の論理2量子ビット演算と468回の論理Tゲートを実行。実効的な論理エラー率は物理エラー率のおよそ10分の1とされる。 ↩ ↩2
-
2019年のGoogle Sycamoreの実証は、誤り訂正を行わない物理量子ビットによるランダム回路サンプリングで、結果の正しさを古典側で直接検証する手段がなかった。詳しくは量子超越性の記事を参照。 ↩
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IBM×シカゴ大学の論文は、計算複雑性理論に基づくハードネスの主張と、実機固有の忠実度証明を組み合わせる設計により、「検証可能な」量子優位性を狙った構成になっている。 ↩ ↩2
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Quantum Computing Report, "IBM and Ecosystem Partners Demonstrate Trusted Quantum Advantage Beyond Classical Supercomputers"(2026年7月)。Qedma・RIKEN・BlueQuiltによる論文では、超伝導方式とは異なる量子ハードウェア企業Quantinuumの実機による独立検証も行われたと報じられている。 ↩ ↩2
-
PostQuantum.com の分析記事では、IBM×シカゴ大学の論文が計算複雑性理論に基づく明示的な優位性の主張を行っているのに対し、Qedma・Algorithmiqの論文は「試した古典手法が一貫した答えを出せなくなる領域」を示す、より経験的な主張にとどまると整理されている。 🌸 ↩
-
IBM研究部門トップのGambetta氏は、メディア取材に対して「quantum advantageだと断言しているわけではない」とし、「trusted computation(信頼できる計算)」という表現を好むと述べたと報じられている。量子優位性の到達を「科学的な議論」であり段階的なものだと位置づけている。 ↩
